
北里看護専門学校は、学祖 北里柴三郎博士の「実学」の精神を建学の理念としています。そして豊かな人間性を備え、人格の尊重を基盤とし、多様化した社会構造と高度化した包括医療の中で、専門職として活躍しうる有能な看護師を養成することを目的に設立されました。
本校は、学校教育法及び保健師、助産師看護師法に基づき、看護師として必要な知識及び技術を習得させ、あわせて一般教養の向上を図り、社会に貢献し得る有能な人材の育成をすることを目的に、北里研究所創立75周年の記念事業の一貫として平成6年4月に開校されました。
また本校は、埼玉県のほぼ中央に位置し、JR高崎線と国道17号線が南北に平行して走る好立地条件にあります。本校の四方は豊かな緑に囲まれ、近くには「県立自然観察公園」もあり、四季折々の自然の恵みを満喫できます。また、実習施設として、北里研究所メディカルセンター病院が隣接。充実した臨床実習を学ぶことができ、看護師を目指す学生にとっては恵まれた環境にあります。
| 西暦 | 年齢 | 事 項 |
|---|---|---|
| 1853年 | 1月29日(旧暦嘉永5年12月20日)、父惟信・母貞の長男として現在の熊本県阿蘇郡小国町に生まれる。 | |
| 1871年 | 18歳 | 熊本の古城医学所病院(明治5年熊本医学校と改称)に。入学、蘭医マンスフェルトに師事。 |
| 1875年 | 22歳 | 東京医学学校(明治10年東京大学医学部と改称)に入学。 |
| 1883年 | 30歳 | 東京大学医学部卒業、内務省衛生局に奉職。 |
| 1885年 | 32歳 | ドイツ留学を命ぜられる。 |
| 1886年 | 33歳 | ベルリン大学ローベルト・コッホ研究所に入り細菌学の研究を開始。 |
| 1889年 | 36歳 | 破傷風菌の純粋培養に成功。 |
| 1890年 | 37歳 | 破傷風菌抗毒素(免疫体)の発見。血清療法の確立。 |
| 1891年 | 38歳 | 医学博士(文部省)の学位を受ける。 |
| 1892年 | 39歳 | 5月、帰国、内務省衛生局に復職(11月) 5月、プロフェッソルの称号(ドイツ)を受ける。 10月、福澤諭吉、森村市左衛門の援助を受け、柴公園内に私立伝染病研究所を設立 11月30日、大日本私立衛生会の委嘱を受け伝染病研究所の所長に就任。 |
| 1893年 | 40歳 | 我が国最初の結核サナトリウム「土筆ヶ岡養生園」を開設。 |
| 1894年 | 41歳 | ペストの原因調査のため流行地香港に派遣され、ペスト菌を発見。 |
| 1899年 | 46歳 | 伝染病研究所が国立(内務省)に移管され、4月に所長に就任。 |
| 1913年 | 60歳 | 日本結核予防協会を設立、副会頭に就任。 |
| 1914年 | 61歳 | 伝染病研究所が内務省から文部省に移管され所長を辞任。即日私立北里研究所を設立。所長に就任。 |
| 1915年 | 62歳 | 恩賜財団済生会病院初代院長に就任。 |
| 1916年 | 63歳 | 生誕地熊本県小国町に「北里文庫」を寄贈。 |
| 1917年 | 64歳 | 慶應義塾大学医学科(大正8年医学部と改称)を創設、初代科長に就任。 |
| 1918年 | 65歳 | 10月、私立北里研究所の財産一切を寄付し、社団法人北里研究所を設立、所長に就任。 11月、社団法人大日本私立衛生会会頭。 |
| 1923年 | 70歳 | 医師会命令により日本医師会を創設、初代会長に就任。 |
| 1931年 | 78歳 | 6月13日、午前5時脳溢血により麻布自邸にて逝去。 従二位、勲一等旭日大綬章を賜る。 |