北里大学

北里大学農医連携教育研究センター

64号

情報:農と環境と医療64号

2011/11/1
第8回北里大学農医連携シンポジウムの内容:7.タイにおけるハーブの医療活用
平成23年4月20日に開催予定であった第8回北里大学農医連携シンポジウム「農医連携の現場:アメカ・タイ・日本の例」のうち、演題「タイにおけるハーブの医療活用」を紹介する。

タイにおけるハーブの医療活用
 
ダムナンサドアック病院長:スラット・レクタイ

要旨
  1. タイにおける伝統医学分野でのハーブの利用:過去と現在
  2. 実例:ダムナンサドアック病院(Damnoensaduak Hospital)

序論
タイは、豊富な天然資源と高いレベルの植物多様性を有する国であり、また、そのうちいくつかの植物は、タイの伝統医学を実践する医師により医療の基盤として使用されている。

過去
タイの伝統医学を実践する医師は、もともと地域の病院の役割をなしていた仏教寺院や神社で、世代から世代へと1000年以上にわたり伝統医学に関する知恵と知識を伝えてきた。この伝統医学は300年前まで広く実践され、王室内および一般市民に受け入れられてきた。このことは経典(palm-leaf scripture)に記録されているが、この経典の多くは国内の戦争中に破壊されている。

200年前(ラタナコーシン朝:バンコク朝)になってやっと、地方の医学知識を記録したものを協力して集める努力がなされた。その後、様々な治療法、ハーブの使用法、タイマッサージ、体操やその他の治療に関する詳細な情報がまとめられ、石文に写された。
100年と少し前にタイに西洋医学が導入され始め、1930年にシリラート病院(Siriraj Hospital)および近代的な付属医学校が設立された。この後、タイ国内で医術が急速に進歩し、科学に基づいた医療を優先する必要があると広く認められ、結果としてタイの伝統医学の役割が減少するに至った。

現在
1997年のグローバルな経済危機により、より「自然な」ライフスタイルの進歩に加え、タイの伝統医学の再確立、すなわち西洋医術にあまり依存しない方向への転換と、手軽に利用できるローカル資源の使用への関心が高まりはじめた。この発展にともない、1999年に「タイ伝統医学研究所」が設立され、衛生省の管轄下で運営されている。

これに続き2001年には、タイ伝統医学に関する知識の向上を目指して、衛生省により「タイ国衛生省伝統・代替医療開発局」が設立され、これが以後、タイ・ハーブの医療目的への利用に関する知識をより深め、さらなる研究へと導いている。

タイ伝統医学(TTM)におけるハーブの使用
タイ伝統医学は、元来次の3つの要素で構成されていた。a)薬用としてのタイ・ハーブの利用b)タイマッサージおよびハーブコンプレス[訳注:タイ式温湿布指圧]c)宗教または神学的儀式

近年、ハーブの薬用、タイマッサージおよびハーブコンプレスが普及促進されてきたが、むしろこれらの医療行為は、従来のように人々の日常生活の一部としてではなく、病院が提供する地域医療と一体化された。以下のように、公・民間の両部門が、多くのレベルでタイ伝統医学の発展と利用の促進にその役割を果たしている。

政府レベル:衛生部の機関、部、課など様々なレベルで政府のタイ・ハーブオフィスを設立。国立および私立大学で、伝統医学の大学および大学院研究プログラムを提供。ハーブの使用についての研究教育の奨励。従来のハーブ製品および施術の基準の確立。国際的な医療基準に達することを目標とした安全性および品質管理のモニタリング。「必須医薬品の全国リスト」に、薬用ハーブリストを追加。国のヘルスケア・システムへハーブ医療を組み入れ、一体化。
社会レベル:ハーブ医療と化粧品産業への投資およびそれらの促進。植物資源の充実を目指した農業部門への投資。
社会および地域レベル:伝統的タイ・ハーブの利用度が増加し、ヘルスケア面での自立の促進に役立っている。有機農業セクターの促進拡大。タイ・ハーブに関する知識情報の普及。健康食品としてハーブ・自然食品を奨励。

実例:ダムナンサドアック病院(Damnoensaduak Hospital)
ダムナンサドアック病院はベッド数300床の総合病院で、医師24名と合計500名のスタッフが勤務している。

ダムナンサドアック病院で行われているタイ・ハーブに関連したプロジェクトと活動
  1. ハーブ医療とその効能に関する研究と知識情報の普及。
  2. 病院のヘルスケアサービス・システム内でのタイ伝統医学の拡大と統合。
  3. タイの医療用品および化粧品の生産。
  4. ヘルスツアープログラムの提供。医療用温泉サービスの提供。(例:Damnoen Spaya)
  5. 以下のようなハーブ製品に関する研究。
    1. 骨関節症患者におけるハーブコンプレス治療の鎮痛効果
    2. 骨関節症患者におけるハーブコンプレスゲルの鎮痛効果
    3. フィルムコート錠(痔核の治療に使用される薬であるシッサスクアドラングラリス(Cissus quadrangularis Linn)の抽出物でコーティングされている)を使用する薬剤の教育効果および副作用
  6. 化学物質を使用しない地域の有機農業運動の活性化と支援。

将来:医療用ハーブに関する知識および技術を共有し開発するにあたって、国内および国際的なレベルでの協力は非常に重要であり、支援されるべきである。これはよりよい人生を楽しみ、より自立して、より健康な環境で生活することに繋がるからである。ひいては、全体として人びとはより幸福な人生を歩むことができるのである。

第8回北里大学農医連携シンポジウムの内容:8.タイ国衛生省における農医連携の取り組み
平成23年4月20日に開催予定であった第8回北里大学農医連携シンポジウム「農医連携の現場:アメカ・タイ・日本の例」のうち、演題「タイ国衛生省における農医連携の取り組み」を紹介する。

タイ国衛生省における農医連携の取り組み
 
タイ国衛生省伝統・代替医療局顧問:プラポッチ・ペトラカッド
 
食物は、医療制度の安全保障の確保のみならず、国の統治権にもかかわるものである。2007年から2008年にかけての食物の世界恐慌の後、世界保健機構(WHO)、世界銀行および工業先進国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国間の食糧安全保障の創設についての会合と共に、この問題に関する国際会議を計画した。食物は人間の基本的権利である。全ての人が、その文化に基づいた安全で栄養豊富な食物を入手することができ、尊厳のある健康的な生活を送るために十分な量と質の食物を入手できなければならない。

タイは食糧輸出国の1つである。しかしながら2004年から2006年にかけて、タイ国民の17%で食物が不足していたことが判明した。2008年の正味の食品輸出額は7781億バーツであり、これは国の総輸出額の13.3%あるいは世界の食品輸出額の2.3%に相当する。さらにタイは、多くの食品目でトップ輸出国の1つであり、コメ、マグロ、鶏肉ではそれぞれ世界市場の33%、47%、25%を占め、食糧輸出国で世界第7位となっている。

食物を生産するのは農業従事者であるが、自ら生産する食物に依存する農家は僅か29.7%であり、この数値は減少し続けている。これに反して、化学肥料と農薬の使用は増加している。これらによって農業従事者のみならず、消費者の健康問題も生じている。

食糧生産の問題は、食物と医療制度のみならず、農業従事者と消費者の権利と同様に世界および国内の消費者の姿勢、国策、社会構造、社会正義も反映する。この問題を解決するには、地域の食文化に基づいた食物の自給と生産上の国策制定への共同参加が重要である。

食糧不安の原因
1.食糧資源の減少
土壌の質の劣化 ‐ 食物量の減少の重要な原因の1つ。化学肥料と農薬の過度の使用および植物の単一栽培により、有機腐植物質を欠く塩分の高い酸性土をもたらしている。
粗悪な水管理 ‐ 国内年間降水量は毎年0.4%減少し続けている。乾季の水不足および雨季の洪水が、水管理上の問題となっている。地球温暖化もまた、タイおよび他のアジア諸国の水資源管理に影響を及ぼしている。

2.持続できない食糧生産システム
単一栽培農業は、次のような多くの問題を引き起こす。
 食糧資源の種多様性:タイの米作地の90%を上回る耕作地で、わずか10種類のコメしか栽培されていない。野菜とトウモロコシ種子は大企業5社により独占されている。遺伝子組み換え植物(GMO)やGMO食用植物の栽培は、アジア諸国で不法に拡大しており、そのような植物の5種類がタイで野生化している。

化学肥料と農薬の使用:農業用化学薬品の輸入は増加している。1999年から2009年にかけて、輸入化学肥料の量は176万3,000トンから411万7,000トンに、化学農薬の輸入量は12万6,000トンに増加した。これらの化学物質のコストは全体の農業生産コストの3分の1である。

3.土地所有および資源にアクセスする権利
タイの農業従事者のおよそ60%は農業用に土地を借りており、800,000戸を超える農家は土地を所有していない。さらにまた、非常に小さいながら土地を所有して生計を立てているのは僅か10,000家族にすぎない。近い将来に、農業用地をめぐる争いが激化し、食糧生産システムに影響するであろう。

4.食品流通における大規模卸業者および現代的商業の役割
 今後10年で、小規模卸業者や地域市場の数は著しく減少するであろう。農業従事者は、大規模の卸業者と交渉し農産物を送るようになり、食物の多様性は、大市場が目指す方向次第となる。このことは地域社会の食糧生産と消費の文化に影響し、地元産の作物は減少し、多くの品種が消えてしまうであろう。

5.地球温暖化の影響
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、2100年には世界中の温度が1.4-5.8 ℃上昇すると推測される。これは平均海面を0.9メートル上昇させることになる。IPCCは、今後20年以内に、中国、インド、中央アジア(Middle Asia)、中東および米国の農地の70%が砂漠になるであろうと予測した。さらに一方では、沿岸の国々で洪水がより頻繁に起こり、植物の成長と生物多様性に影響するであろう。

6.食品系に起因する健康問題
1998年に血中の化学農薬レベルを検査した結果、農業従事者369,573人のうち77,789人、21%に相当する農業従事者が陽性で、ハイリスクの毒性レベルに達していたことが明らかになった。チェンマイ地方の農業従事者と主婦924人に行なわれた2008年の血液検査では、彼らの75%が陽性でハイリスクのレベルであり、同地区の消費者1,412人の血液検査では89%が陽性であった。

タイの持続型農業への動き
約30年前に始まった維持的開発のパラダイムは広く受け入れられてきた。農業に取り組む非政府組織(NGO)は、組織の活動にこのパラダイムを採用し、その結果タイの農業に対する考え方が変わった。持続型農業は、持続可能、代替農業、自然農業あるいは仏教に則った農業などとして知られてきている。

NGOと地域社会ネットワークの活動は、あらゆる層の人々、特に中間所得層の消費者の注意を喚起した。有機野菜と食物の需要により、有機農法についての知識および技術を習得するために多くの開発努力が費やされるようになった。

さらに、NGO、市民社会団体および地域社会のネットワークはまた、タイ国健康推進財団(Thai Health Promotion Foundation)の資金援助を受けて、2007-2010年の食糧資源計画、引き続き2010-2013年の食糧安全保障プログラムを立案した。彼らのゴールは、特に有機および自然食品の自給に関して、国内の439の地域社会で50の地域社会食品安全性モデルを開発し検討することである。

衛生省(MoPH)内での農医連携への動き
食物と健康の問題について、少なくとも20の公立病院で、とくに患者にとってより強い関心が持たれている。この動きは、野菜に含まれる化学農薬の大きな影響、不自然に加工された食品および癌の増加が認識されると共に始まった。同時に、タイ国衛生省伝統・代替医療局(2002年設立)は、マクロビオティック(自然)食、地元産の食品および健康食品の消費を奨励した。マクロビオティックは、癌あるいは慢性病患者にマクロビオティック食を処方している病院に強い影響をあたえる。これにしたがい、病院は地域の農業従事者が十分な量の有機野菜、コメ、果物等を生産し病院に供給できるように激励し支援することが必要となる。

さらに衛生省は、農業・協同組合省と協力して衛生局局員用の有機野菜を生産するために、2008年以来衛生局の敷地内で有機菜園を営んでいる。この有機菜園は、他の政府系機関にとって農医連携と健康に対する注意を喚起し、責任を持つためのモデルになるであろう。

「タイの食糧管理」の全国長期計画
先に述べた食糧不安の問題を解決するために、また消費者の健康への意識の高まりを受けて、タイは「タイの食糧管理」に対して5年間の全国長期計画(2011-2016年)を策定した。この計画の構想は次のとおりである。「タイはタイ国民と世界の人々のために、環境を維持し食糧確保を保障しながら高品質で安全な食品を生産する」。この計画の4つの戦略課題は、食糧安全保障、食物の品質および安全性、食物教育および食糧管理である。

「食物の品質および安全性」の戦略課題のゴールは、食物連鎖システムでの食物の品質および安全性を促進し、国内外の消費者と通商を守ることである。戦略手段は、食品安全性の標準化、主要農産物の開発、地域社会および産業ベースでの生産能力の確立、マーケティング推進、および品質/安全管理システムの強化である。

食品安全性および栄養のための戦略的枠組み ‐ 衛生省
食品安全性問題について懸念を抱き、衛生省は食品安全性および栄養のための戦略的枠組み(2012-2016年度)を展開し、人々によって毎日消費される主要食糧に、病原体と同じように農薬や抗生物質および他の毒性物質のような農業用化学物質の影響がないように、市場に出る食品の安全性と栄養価の問題に重点的に取り組んでいる。6つの主な戦略課題は、食品栄養学教育、システムおよび構造展開、法案作成、地域団体開発、研究所の標準化および情報システムの開発である。安全・健康食品病院プロジェクトの下で行われる健康のための農業と食品生産の開発は、システムおよび構造展開戦略課題の戦略手段の1つである。

終わりに
約10,000年前、ヒトは稲作を始め、農業時代が始まり、ヒトの生活様式は狩猟から農業へと変わった。農村文化が起こり、文明へと発展した。今日、グローバル化はすべての物とすべての国を繋げ、農業の方法を変えた。一文化圏で生産された食品が、遠方の別の地域へ送られるようになった。ヒトの健康のための食糧生産という目標は無視され、関心がもたれていなかった。それ故に、農医連携、持続型農業および有機農業は農業界の新しい文化なのである。この新しい農業へのアプローチは、強い関与と活動を以って健康な国際社会を形成するであろう。

第8回北里大学農医連携シンポジウムの内容:9.カリフォルニアにおける健康医療の実践‐ヒトと食物との関係の変化‐
平成23年4月20日に開催予定であった第8回北里大学農医連携シンポジウム「農医連携の現場:アメカ・タイ・日本の例」のうち、演題「カリフォルニアにおける健康医療の実践―ヒトと食物との関係の変化―」を紹介する。

カリフォルニアにおける健康医療の実践―ヒトと食物との関係の変化―
 
カリフォルニア健康統合センター:デビッド・ウォン

「未来の医師は、薬を投与するのではなく、食事療法や疾病の原因と予防法について、全人的医療の観点から患者教育をおこなうであろう」トーマス・A・エジソン(1847-1931)

現代栄養学は、食物中の特定成分の不足がヒトの多くの疾病を引き起こすという発見を受けて発展した学問である。ビタミンCが壊血病の治療に有効であることが判明し、チアミンは脚気の症状を緩和し、ナイアシンがペラグラ(ニコチン酸欠乏症)に使用されるようになり、ビタミンAは夜盲症に有効であることが分かり、ビタミンDはくる病を寛解させ、鉄が貧血に使用され、ヨウ素は甲状腺腫に投与された。心疾患、糖尿病、肥満および癌の発生率の上昇に食物が関与していることは、今日では広く認められている。

食物は、最適な健康状態および個人の能力に寄与する唯一最大の要因である。しかしながら、主に消費者の要求に応じて医学校で栄養教育が重要視されるようになったのは、ここ20年間のことである。私自身、プライマリーケア医として、食物やさらに大気、水、土壌そして食物から家庭に侵入し、個人の、また地域社会の健康に大きく影響を及ぼす可能性のある有害物質について、時間を費やして人々を教育することの大切さを感じている。

環境と健康の関わり合いへの意識が高まり、1965年に米国環境医学会(AAEM)が設立された。この協会は、ヒトの臨床的特徴と、ヒトと環境との相互作用に関心を持つ医師および専門家による国際的な団体である。2011年11月16日から20日には、米国先端医療学会(ACAM)との合同会議がオレゴン州ポートランドにて開催される。

ヒトと食物との関係とは、様々な種類の食物連鎖相互作用、食物の栽培方法と調理方法、家畜への思いやりのある扱いおよび食物の輸送と安全性に関する問題を含んだテーマである。ビタミンとミネラルの臨床試験、重金属の毒性スクリーニングを行なって、診断や健康状態のモニタリングに役立てることができる。

大統領府癌諮問委員会(President's Cancer Panel:1971年に確立された3名からなる委員会)が、2010年5月に提出した年1回の勧告には、「環境誘発性の癌の真の重みが著しく過小評価されてきたことが判明したことに特に危惧をいだいている」ことが記されている。オバマ大統領への報告書には次のように述べられている。「委員会は、大統領としての権限を行使して、無駄に医療費を増加させ、国家の生産性を損なわせ、米国民の生活に打撃を与える食物、水および大気中に含まれる発癌物質や他の毒物を取り除くよう、特に強く要請する」。委員会はまた、一般の人、特に「成人よりも環境発癌物質や内分泌を混乱させる化合物によるダメージに対しはるかに敏感である」小児に対して、無農薬食品を食べるなどの癌に罹るリスクを低下させるためのアドバイスを記したリストを提出した。また別の興味深いアドバイスとしては、家に入る前に靴を脱ぎ、作業衣は家庭の他の洗濯物とは別々に洗うというものがある。

問題なのは、どうすれば農業従事者、消費者、医療従事者および環境問題専門家の間の意識的な協力を進展させ、二酸化炭素排出量を減らし、かつ、われわれが選んだ食物でわれわれの健康を増進させることができるかである。

カリフォルニア州でのヘルスケア現場での私の経験を紹介する。ロマリンダ大学医学部卒業後、インターンシップを終了し、私は民間の診療所で2年間勤務した。私は、人々の健康に関わる習慣やライフスタイルを効果的に変えたいならば、彼らを教育し対話する時間、ちなみにこれは標準的な15分の診療時間では実現することは難しいが、そのような時間が必要であることを実感した。友人や同僚から励まされ、私は、予防と健康維持に重点を置いた診療所を始めた。1978年には、カリフォルニア州トランスに、個人が身体と心と精神のバランスを得られるようサポートすることを目的として、東洋および西洋の治療法を用いて革新的な教育を行い、総体的に患者を診る医療センターとして、健康統合センター(Health Integration Center)を共同設立した。

統合医療は、すでに証明されている科学的な知識と、従来の医療および代替医療で用いられる治療を組み合わせ、また一体化するものである。統合医療は、従来の医学を否定するものでも、代替医療を無批判に受け入れるものでもない。これは、身体は、機会が与えられれば自己の力で治すことができるという前提にたって、学びそして作業するという新しいパラダイムを以って機能するものである。医師とヘルスパーティシパント(以前は患者と呼ばれていた)の関係では、人の健康状態を変えるための合意の上で育まれるパートナーシップが重視される。統合医療で主に焦点を当てるのは、予防と健康維持である。健康は、病気に罹っていないだけでなく、われわれを取り巻く環境とのバランスの回復と個人全体としての調和として定義される。

私は、創立者北里柴三郎博士と初期の医学部講師であった澤瀉久敬(おもだかひさゆき)博士により「医学は、病気の治療および予防、健康の維持および改善、さらに精神面のケアを網羅するべき学問である。これらの任務を果たすには、われわれが生命の基盤である食物(農業)および環境の健全さと安全性を維持することが重要である」と宣言された、この北里大学で第8回農医連携シンポジウムに参加できたことを光栄に感じるものである。これこそが、統合医療、すなわち身体、心そして精神のバランスの基礎を成すものであろう。

農・環・医にかかわる国際情報:13.カナダ;農業関係者のための健康と安全センター
農業関係者のための健康と安全センター(CCSHA)は、カナダ・サスカチュワン大学が管理・調整している機関である。ウェブサイトによると、CCSHAの将来展望は「農村地域の人々の健康に関する世界規模のリーダーシップを取ること」であり、「農業・農村地域・遠隔地に住む人々の健康と幸福を増進するための研究の実施とその振興」を使命としている。

CCSHAは大学卒業生を対象に、The Public Health and the Agricultural Rural Ecosystem (PHARE)を教育プログラムの一環として実施している。PHAREの目的は以下のとおり。

  • カナダ全土の人口動態と、技術の変化に対応する能力を最大限に引き出し、カナダ国内の農村地域において、健康・安全・持続可能性のある生活様式に直面する住民の課題に取り組み、
  • 農業と健康に関連する分野について、カナダの農村地域の利用可能な資源を国内・国際的に活用する能力を構築し、
  • 農業および農村地域の課題に焦点を絞り、農業・農村地域の全体像を個別の研究分野に反映させ、将来の研究者を訓練できる不可欠な人材を大量に育成する。

PHAREのパンフレットから、重要と思われる項目を以下に抜粋する。

  • 農村地域の健康および生態系専門家の必要性
    農村地域のコミュニティには、新しい問題に対応する知識と専門性を兼ね備え、一般の人びとに情報を伝達し、(州)政府の政策立案を補佐する人材が求められている。
  • PHAREプログラムは修士・博士・ポスドクの各レベルに応じて、奨学金を授与している。全対象者は公衆衛生と農業・農村生態系に関する講義を受講しなければならない。講義はサスカチュワン大学を拠点に実施され、他大学からウェブサイト経由でも受講できる。PHAREプログラムの基準を満たした場合、受講生は公衆衛生・農業・農村生態系の卒業証書を授与される。

ウェブサイトより、研究テーマの一部を紹介する。

例1
区分:博士課程、研究の領域:運動生理学・公衆衛生学、研究年:2010-2012>
課題:サスカチュワン州幼年指導センターにおける身体活動と健康食に関する研究
例2
区分:博士課程、研究の領域:公衆衛生学・環境・持続可能性、研究年:2010-2012>
課題:サスカチュワン州における健康かつ安全な季節的農業活動に関する社会環境決定要因
例3
区分:博士課程、研究領域:看護学、研究年:2009-2012>
課題:オンタリオ州の農村地域および遠隔地における持続可能な緊急健康管理

参考資料

CCSHA:http://www.cchsa-ccssma.usask.ca/aboutus/index.php
PHARE:http://www.cchsa-ccssma.usask.ca/trainingprograms/phare.php#a_masters
農・環・医にかかわる国際情報:14.英国;農業と健康の統合的研究 リーバーヒューム・センター
LCIRAH(Leverhulme Centre for Integrative Research on Agriculture and Health)はリーバーヒューム・トラスト(The Leverhulme Trust)から5年間350万ポンドの交付金を授与され、新しく設立された研究機関である。当機関は、農業・健康分野の統合研究に役立つ共通の学際的な基盤となるソフトまたはハードの環境を新しく構築することであり、国際的な発展にその焦点を絞っている。

本センターにより、ロンドン衛生熱帯医学大学院(London School of Hygiene and Tropical Medicine)、東洋アフリカ研究学院(School of Oriental and African Studies)、ロンドン大学薬学校(School of Pharmacy)、王立獣医大学(Royal Veterinary College)および各校の研究者仲間が共同で、農業と健康に関する統合的研究に向けての統一的な研究アプローチと方法論を開発できる、2050年に90億人に達する人びとに健全な食糧供給をするという必要性のある、複雑な地球規模の課題に善処することが本センターの目指すところである。人類学者、経済学者、農学者、公衆衛生専門職および栄養学者が関与する研究プログラムにより、以下の項目を網羅した農業・健康のテーマが探求されることになる。

貧困と開発/食生活およびグローバリゼーションと食品の品質/持続可能性、環境および気候変動/農業、健康、食品流通および人獣共通の感染症/農業と健康の指標

なお、当センターは2011年1月、英国科学庁(The Government Office for Science)の「地球規模の食糧・農業に関する将来展望プロジェクト」に基づき、『WP1:農業と健康の関連性理解とその改善』と題する全96ページの報告書を発行した。参考までに、目次を以下に列挙する。

概要
  1. はじめに
  2. 地球規模の食品システム
    1. 低~中所得国のフードチェーン
    2. フードチェーンの将来の動向
  3. 栄養と健康に及ぼす農業の役割
    1. 健康的な食事のための栄養素
      1. 炭水化物
      2. 脂質
      3. 蛋白質
      4. 栄養素としての食品
      5. 疾病予防のための食品摂取に関する専門家レポート
    2. 食品消費の動向
    3. 食品加工
    4. 地球規模における食品の利用可能性と各国の消費量
      1. 各国の食品摂取量および食事バランスシート(FBS)データ比較:英国とメキシコ
      2. 世界は「健康な食事」を摂っているか
      3. 食品摂取調査未実施に際してのFBSによる推定:バングラデシュとタンザニアの栄養素利用性
      4. 知識の相違が示唆するもの
      5. 農産物生産量と消費量推定の改善
  4. 食品安全に対する農産物の影響
    1. 食品安全に対する需要
      1. 英国における食品安全の歴史:事例
      2. 低~中所得国における食品安全の課題
    2. 畜産業における食品安全
  5. 農業従事者の健康
    1. 農業者および作業者の健康リスク
    2. 農業者の健康低下に伴う農業生産への影響
    3. 農業の変化・発展による影響
  6. 農業が介在する健康への環境影響
  7. 討論:健康を農業政策のけん引役に
    1. 実証(エビデンスベース)に基づく改善
    2. 農業政策の変更
  8. 結論/謝辞/参考文献/付属書類
  • 付録
    1. 品目別生産量、食事バランスシート(FBS)、地球規模の食品利用可能性
    2. 世帯レベルにおける食品利用可能性
    3. 個別の食品消費量調査

参考資料

LCIRAH 参照先:http://www.lcirah.ac.uk/
報告書URL:http://www.lcirah.ac.uk/_assets/Foresight%20Report%20Agriculture%20and%20Health%20review.PDF

農医連携を心した人びと:6.炎帝神農;古代中国(神話伝説:BC2700頃)
炎帝神農は中国太古の伝説的な帝王である。もともとは、南方にあり夏の季節をつかさどる観念的な神格であったと考えられる。木火土金水の五行思想で火にあたる位置にいるところから、三皇(伏羲、女?、神農)の一人の神農と結びつき炎帝神農と呼ばれ、伏羲と黄帝の間に入る帝王として歴史化された。

先農、薬王、五穀爺とも呼ばれる。姓は姜(きょう)。火徳の王であったので炎帝と称したという。母の女登は神竜の徳に感じて彼を産んだ。その姿は人身にして牛首、身の丈は八尺七寸あったという。徳があって帝位につくと、陳に都を定め、木を切って耒(らい:鋤)、耜(し:鍬)などの農具を発明して穀物をうえることを人々に教え、市場の制度を創始するなどして民生の安定につとめた。また草木を嘗(な)めて薬草を探し、《神農本草経》4巻を著したとされる。

炎帝が「赭鞭」という神鞭でさまざまな薬草をひとたたきすると、有毒か無毒か、寒か熱かなど、薬草のさまざまな性質が明確になるので、その性質にもとづいて人びとの病気を治したという。また、みずから薬草をなめて性質を見極めていたが、そのために一日に七十回も毒にあたったともいわれる。さらに、猛毒を有する断腸草をなめたため、腸が切れ人類のために生命を犠牲にしたという民間伝承もある。

現在、人びとは塀や垣根を伝って黄色い小さな花を咲かせる藤のような植物を見かけると、神農皇帝を殺害したほどの猛毒があることを知っているので警戒する。これらの伝説にどのような違いがあろうと、人類に大きく貢献した大神の炎帝の精神は、けっして忘れ去られることはない。それゆえ、炎帝の医薬面での功労に関する後世の伝説には、「薬を嘗めた」と「薬を鞭った」が共存している。

中国山西省の太原の神釜岡には、神農が薬を嘗めた鼎があるという。また、河南省の神農山には神農が薬をたたいた場所があり、そこを神農原とも薬草山ともいう。このようなことから神農は医薬の祖とされ、また本草学の祖とも見なされた。

また、発見した数々の有用な植物を育てる方法を人びとに教えたことから、農耕の祖とみなされることもある。農医連携の元祖といえる人物である。神農の図像は、長い髯をもち木の葉で作った衣または腰蓑を着けた男性の姿で現されることが多く、頭に短い角が描かれるのが普通だが、省略されることもある。姜水のほとりの生まれで、生まれて三日にして口をきき、五日で歩き、七日で歯がはえたという。

参考資料
  1. 中国の神話伝説・上:袁珂著、鈴木 博訳、青土社(1993)
  2. ウィキペディアフリー百科事典:炎帝神農

農医連携を心した人びと:7.ヒポクラテス;古代ギリシャ(BC460頃~BC370頃)
ヒポクラテスは、古代ギリシャのエーゲ海にあるイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学び、ギリシャの各地を遍歴し医療活動に従事したと言い伝えられている。ヒポクラテスの名を冠した『ヒポクラテス全集』が、今日まで残されている。その編纂は、ヒポクラテスの死後100年以上経ってからといわれる。全集にはヒポクラテス派(コス派)の他、ライバル関係にあったクニドス派の著作や、ヒポクラテス以後の著作も多く含まれるという。

ヒポクラテス派の最も重要な功績のひとつは、原始的な医学から迷信や呪術を切り離し、医学を経験科学へと発展させたことにある。さらに現場の医師として臨床を重んじた。神秘主義や思弁哲学などの仮定を医術の基礎におくことに対しては、「人間の病苦を知り得ない」として強く反対した。ヒポクラテス医学の持つ大きな特徴のひとつは、このように科学性に基づいた解釈にある。

現代でも医師たちからヒポクラテスが尊敬されているのは、現代医学(西洋医学)の基礎となる自然医学を集大成したからである。彼は病気の症状だけでなく、患者をとりまく自然環境のすべてを対象にした。その結果、「暖かさ・冷たさ・乾燥・湿気」の変化が、人体の血液や粘液などの調和を乱すことによって、病気が引き起こされると考えた。このことを合理的に説明したのが「ヒポクラテス全集」である。

全集には、医師の倫理性と客観性について『誓い』と題した文章が収められている。それは『ヒポクラテスの誓い』として有名である。内容は、医師の倫理や任務などについてのギリシア神への宣誓である。現代の医療倫理の根幹を成す患者の生命・健康保護の思想、患者のプライバシー保護のほか、専門家としての尊厳の保持、徒弟制度の維持や職能の閉鎖性維持なども謳われている。

このように、ヒポクラテスは医学史に多大な影響を与え、その業績から今なお「医学の父」「医聖」「疫学の祖」などと呼ばれている。「ヒポクラテス全集」も現在の医学から見れば首を傾けたくなる部分がある。しかし、時空を越えても人間の体は変わっていないから、現代医学が忘れてしまった人間本来の自然治癒力について、彼の教えを学ぶ価値は高いであろう。とすれば、農医連携の視点からもヒポクラテスから学べるものがある。

ヒポクラテスの次の言葉は、農医連携論を進めるうえできわめて興味深い。「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」。このような聖賢の言葉を知ると、次のような言い回しをしたくなる。食べ物は土壌から生産されるので、「土壌を知らない人が、人の健康について理解できようか」。食べ物は、水と土壌と大気から生産されるので、「水と土壌と大気を知らない人が、どうして病気について理解できようか」とも言える。

この他にも、農医連携に関わる数多くの言葉を残している。「病人に食べさせると病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ病気は早く治る」「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」「満腹が原因の病気は空腹によって治る。空腹が原因の病気は満腹によって治る」「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」

また、環境を通した農医連携の重要性も強調されている。「人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる」「人間も動物も、体は三種類の栄養によって養われている。食料、飲料、空気(風)の三つである。病気が起こるのは、空気が過剰、または過小、あるいは急激に生じたり、病気の原因となる毒気に汚染されて体内に入る場合である」「病気は、気候や風土、生活の変化に体質や精神が対応できないことが原因だ」「病気は超自然の力によってではなく、自然の力によって生じる。健康とは、体と心を含む内的な力と外的な力の調和的バランス状態を表現したものである」「同じ気象条件でも、良質の水を使っている地域では病気になる確立は非常に少ない。反対に、沼地の水や溜まり水を使っているところでは、気象の変化による悪影響をまともに受けて病気にかかりやすくなる」「人間と自然とは切り離せないもので、人間が自然界の中で生きていく以上、そこには一定の法則性が存在する」など。

医師ヒポクラテスは、神の支配と考えられていた生命や病気の分野に、人間と自然との深い因果関係を見出し、そのメカニズムによる生命誕生や自然治癒力を力説したのである。

参考資料
  1. ウィキペディアフリー百科事典:ヒポクラテス
  2. ヒポクラテスが教える癒す力 50:中島文保著、かんき出版(2004)
  3. ヒポクラテスの西洋医学序説:常石敬一著、小学館(1996)

農医連携を心した人びと:8.北里柴三郎(1853-1931)
医道論
わが国の近代医学と衛生行政の発展に多大な貢献を果たした北里柴三郎が、25歳のときに著した「医道論」(明治11年:1878)を繙くと、最初の部分に医道についての信念が次のように書かれている。

「夫レ人民ヲ導テ摂生保護ノ道ヲ解セシメ以テ身ノ貴重ナルヲ知ラシメ而後病ヲ未発ニ防クフウヲ得セシムルハ是所詮医道ノ本ナリ」とある。すなわち、「人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが医道の基本である」と説く。このことは、健全な環境のもとで生産され、安全な過程を経て作られた食品を食し、健康を保ち病に陥らないことが必要であると解釈することができる。

続いて当時の医者を厳しく批判している。いわく「人身ヲ摂生保護シ病ヲ未発ニ防クハ固ヨリ其病ヲ来スノ原因及此レヲ治スルノ方法即チ医術ヲ飽マテモ了解スルニ非サレハ決メ此道ヲ実際ニ施スヲ得ス此ヲ以テ眞ノ医道ヲ施サント欲スルモノハ必ス先ツ医術ヲ充分ニ研究セスンハアル可ラス其術精巧其蘊奥ヲ極メテ始メテ其道行ハル」とある。すなわち、「病気を未然に防ぐ為には、病気の原因と治療、つまり医術を徹底的に理解しないと達成出来ない。真の医を施すには医術の充分な研究が必要である。医学を志すものは理論技術とも甲乙なく徹底的に研究する必要がある」と説く。このことは、医者にかかる前に人は病気を未然に防ぐための安全な農産物を生産し、その基となる環境を保全しなければならないと解釈することができる。

この北里柴三郎の「医道論」は、手短に言えば医の基本は予防にあるという信念を掲げ、広く国民のために学問の成果を用いるべきことを主張している。ここには、学問と実践を結びつけた実学の思想がある。ちなみに「医道論」の最後は、七言絶句で締めくくられている。「保育蒼生吾所期 成功一世鎧無時 人間窮達君休説 克耐苦辛是男児」と。男児たるもの苦難に耐え立ち向かえば、公衆衛生の困窮を成し遂げられないはずはないといった意味であろう。

一方、コレラ調査に出かけた長崎では、仕事の合間に町の道路、井戸、排水の状況など病気が発生した路地裏の環境を的確に観察している。また、寄生虫による肝臓ジストマ症については、肝蛭(かんてつ:キュウチュウ目(二生類)の扁形動物。体長は20~30ミリメートル)の肝臓への伝染経路を紹介している。これは、環境を観察する鋭い視線から得られた成果である。その結果、この肝蛭を有する蝸牛を食する羊に注意を促すことを指摘している。ここにも、学問を現実と結びつけた北里柴三郎の実学がある。

医学原論
北里大学医学部の講義科目「医学原論」においても縁の深い澤瀉久敬(おもだかひさゆき)は、彼の著書「医学概論とは」(誠信書房,1987)に概ね次のようなことを語っている。

医学とは何を研究するのか。生命の哲学ではない。医の倫理でもない(ただし、医学概論の一つではある)。医道論だけでもない。医学は、物理的な生命現象だけでなく精神現象も考慮する。単に自然科学とだけ考えるのではなく、社会科学でもなければならない。病気を治す学であり術である。病気の治療と予防に関する学問であるだけでなく、健康に関する学問でもある。これは、単に健康維持の学問であるばかりでなく、すすんで健康を増進する学問でもなければならない。

北里柴三郎と澤瀉久敬の上記の著書は、医学は病気の治療・予防、健康の維持・増進、精神の面を含めて解決にあたるべき学問だと指摘している。これを満足させるためには、人びとの生活の基である農と食と環境を健全かつ安全に保つことがきわめて重要である。食と環境が健全でなければ、人びとの健康はありえないと指摘している。環境を通した農医連携の科学の必要性は、すでに先人によって説かれている。

生命科学のフロンティアをめざす北里大学では、このような観点から農学、環境および医学の分野が密接に連携し、先人が指摘した様々な問題、さらには現代社会が新たに直面している感染症、食の安全性、地球温暖化などの問題に、教育および研究の両面から展開している。

北里柴三郎の生い立ち
北里柴三郎は、嘉永5年、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里に生まれた。藩校時習館および熊本医学校に学んだ後、東京医学校(東大医学部の前身)に入学し、明治16年卒業後、長与専斎が局長であった内務省衛生局に奉職した。

明治19年からドイツのローベルト・コッホに師事し、多くの貴重な研究業績を挙げた。とりわけ破傷風菌純培養法と破傷風菌抗毒素の発見は前人未踏のもので、世界の医学界を驚嘆させた。明治25年帰国し、福沢諭吉の援助により芝公園にわが国では初めての私立伝染病研究所を創設した。同所が明治32年内務省に移管後も所長として活躍し続けた。この間、香港に流行したペストの調査に出かけ短期間でペスト菌を発見した。

大正6年、福沢諭吉の恩義に報いるため慶應義塾大学医学部を創設し、医学部長および顧問として終生その発展に尽力した。また、日本医師会長を始め多くの医学団体の要職に就き、わが国の公衆衛生特に結核の予防のほか、医学、医学教育の発展に大きな足跡をのこした。

北里柴三郎の実学には、当然のことながら分離の病はなかった。むしろ、われわれはこの卓見を学ばなければならない。本来、農業と環境と医療は分離されるべき事象ではないのである。

北里大学が発信する農医連携
北里柴三郎は、研究者間のコミュニケーションを深め研究を深化させるため、月に一度は門下生らと集会を開いた。これに参加できない多くの同窓生たちは、その記録の刊行を熱望した。そこで北里は、集会の内容を1895年に「細菌学雑誌」として刊行している。この雑誌は、今なお「日本細菌学雑誌」として刊行され続けている。知の共有は科学にとって不可欠なものと考えていた北里の思いが、今なお息づいている証であろう。

北里大学ではこのような北里の卓見をさらに止揚すべく、2005年から環境を通した農の知と医の知を連携させるため、「農医連携」という言葉を提唱している。現在、さまざまなところで見られる分離の病の克服、すなわち知と知の統合である。古くから医食同源、身土不二、地産地消などという言葉があるように、環境を基とした「農学と医学」あるいは「食と健康」は、もともと分離される事象ではないのである。近代科学の手法は、技術の深化を探求するあまり分離の病を生じせしめたのである。

知の統合は、北里大学ホームページの「農医連携教育・研究」の「シンポジウム:https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/noui/spread/symposium/」「情報:農と環境と医療(北里大学学長室通信):https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/noui/spread/newsletter/」および「北里大学農医連携学術叢書1~9号、養賢堂」で見ることができる。

参考文献
  1. 北里柴三郎:医道論(1878)
  2. 北里柴三郎 社団法人北里研究所:生誕150年記念(2003)
  3. 山崎光男:ドンネルの男・北里柴三郎、上下、東洋経済新報社(2003)

土壌と健康 2.アースイーター:古代と近代の食土に関する見解(その3)
Soil and Culture(2010年)と題する本が、Edward R. LandaとChristian FellerによってSpringer社から出版された。前者はミネソタ大学で土壌科学を学び博士課程を修了し、アメリカの地質調査所に勤務している。後者はソルボンヌ大学で有機化学の学位を取得している名誉土壌学者である。

この本は、「Soil and the Visual Arts:土壌と視覚芸術」「Under My Feet - Soil Presence and Perspectives in the Work of Four Contemporary Visual Arts:4つの現代視覚芸術に見る土壌の臨場的・眺望的視点」「Soil and Soul: Literature and Philosophy:土壌と霊魂:文学と哲学」「Perspectives on Soil by Indigenous and Ancient Cultures:古来からの文化による土壌の見解」「Soil and Health:土壌と健康」「Soil - The Dark Side and the Light Side:土壌の影と光」の6部からなる。このうち「Soil and Health:土壌と健康」の章は、「Soils and Geomedicine: Trace Elements:土壌と地理医学:微量要素」「Do Pedo-Epidemiological Systems Exist?:土壌免疫学システムは存在するか?」「Earth Eaters;Ancient and Modern Perspectives on Human Geophagy:"アースイーター":食土に関する古代および近代の視点」に分かれている。

この本については、「情報:農と環境と医療 60号」の「土壌と健康:1.土壌と地理医学」でも触れた。60号では、その中の「Soils and Geomedicine: Trace Elements:土壌と地理医学:微量要素」について紹介した。

続いて「情報:農と環境と医療 61号、62号」では、「Soil and Culture:土壌と文化」の「Earth Eaters;Ancient and Modern Perspectives on Human Geophagy:"アースイーター";食土に関する古代および近代の視点」を「アースイーター:古代と近代の食土に関する見解(その1、その2)」と題して紹介した。「61号のその1」では「はじめに」「古代」「中世」「16、17、18世紀」について、「62号のその2」では「19世紀から現代まで」を紹介した。今回は「意図的な土壌摂取の原因と結果」「生物学的視点から見た食土:精神科学的、医学的および食物解毒的要因との関連」「生物学的視点からの食土:無機栄養素?特別な考察」「文化的視点からの食土」「人の健康:食土による損失と利益」「結論と見解」を紹介する。

意図的な土壌摂取の原因と結果
ここでは、何千年にも亘って書かれている食土の評価について、その特徴を紹介する。とくに妊婦と子どもは、特殊な物質(すなわちシロアリ塚、壁を削った資材、下層土の集積)を食することから明らかなように、粘土が豊富な材料を好む。彼らの好みには、色、風味、臭いなどに特徴がある。健康を顧みないで土を食べる欲求に抗しきれない人、食土への依存症が拡大されている人を対象に、土熱狂(geomania)という言葉が使われた(Halsted 1996)。

行き届いた郵便制度や市場流通システムを経由して、土は焼かれた後かなりの距離を超えて効果的に再分配され、取引の対象になっている。他にも例えば、男性の土壌摂取時間の報告(Sayers ら1974)、砂を摂取(Bradley 1964;Vermeer 1987)する報告などもある。これらの報告から、食土の習慣は人間が定住しているあらゆる場所で潜在的に観察されることが明らかになった(Deniker 1900)。

Laufer(1930)は次のように報告している。食土は日本(古代も近代も)、韓国、ポリネシア(ニュージーランドを除く)、マダガスカル、南アメリカ南部のような地域では知られていない。しかし、これは必ずしも正しくない。例えば、日本における土の摂取については、19世紀に報告されている(Anonymous 1895)。今では明らかだが、食土の研究が少ないのでこれに関する知識に乏しい。そのため、食土の習慣を過少に見積もっている。

生物学的視点から見た食土:精神医学的、医学的および食物解毒的要因
食土は、しばしば異常な習慣と見なされる。土を意図的に摂取する行為が、精神的な不調の現れであることは容易に想像される。そのような精神的な原因による土の摂取が、現実に大人(Danford and Huber 1982;Mitchell 1968)と子ども(Marchi and Cohen 1990)について報告されている。

19世紀中頃、Copland(1844)は「異常な食土は、おお馬鹿者がしばしば食べ物かそうでないかを見分ける能力を得ることからくる」と書いている。Danford とHuber(1982)は、精神的に知能が遅れ施設に入れられた人びと991人のアメリカ人(主に大人でカフカス人)のサンプル集団において、異食にふける人はしばしば攻撃的で、意図的に食べ物でないものを探していると報告している。この集団の4.7%は土を食べると記録されていて、Danfordと Huber(1982)は精神的に障害のある者が異食を試みるのは、実際の報告より少ないと結論している。しかし、食土をただの精神的異常とみるのは間違っている。飢饉の時に胃を満たすために、土を食する多くの例が確認されている。

例えば食土のための資材は、大昔から多くの病気の治療薬として使われてきたし、食土の習慣は今日も歴然として継続している。栄養分としての有用性は疑問視されているが、土は胃腸の不調や中毒に効果的な治療薬となる。Carreteroら(2006)は、粘土鉱物のもつ髙比表面積・髙吸着容量、有益な流動力学的特性、化学的不活性、患者へのゼロ・低毒性および低価格などの特性が、近代的な製薬処方における材料としてきわめて有益であると記している。

とはいえ、効果を期待して食土の資材を無差別に使うべきではない(MedlinePlus 2006)。例えば、アフラトキシン(肝臓障害を起こす発がん性の物質)に汚染された食料品の摂取によって引き起こされる中毒は続いている(Afriyie-Gyawaら 2005;Phillips 1999)。

また、人は食料品を解毒するために土を摂取する。例えばIrvine(1952)の報告によれば、ゴールドコースト(今のグアナ)辺りの国で飢饉の期間、毒性のある野生の山芋(dioscorea dumetorum)を食していたが、この山芋の毒を取り除く目的で黒綿土(玄武岩からできた黒色土壌、今の土壌分類ではVertisols)が使用されていた。

土の解毒作用でとくに興味があるのは、アメリカ大陸の中央部である。チチカカ湖盆地では、有害物質を含む主要植物を考古学的手法で毎回一つ特定している。それらの植物を主要な農作物として開発する前には、解毒方法(または、突然変異・繁殖による解毒)が必要とされる(Browman 1981;Browman and Gundersen 1993)。

毒を取り除く方法は、さまざまである。Lawson とMoon(1938)は、"胃の酸敗:souring of the stomach"を防止するため,ジャガイモを摂取する直前にカオリン粘土の水懸濁液につけ込む方法を報告している。これは、地方でChaccoとして知られている。Johns(1986)による最近の観察によれば、グルコアルカロイド化合物トマチンは安定した激しい毒性があるため調理してもこわれないが、解毒作業で使われる粘土に効果的に吸着されることが判明した。ジャガイモは今や世界中で栽培される塊茎作物であり、生鮮食品としては生産量が第4番目であるが、当初南米で栽培が始まったときには「ポテト・クレイ」との呼称を与えうる土の解毒作用によって食用として適合させることが必要だったのではないか、ということが示唆される。

人の胃と小腸の消化を証明する最近の試験管による室内実験から、食物に悪影響を与えるタンニン様物質が、カオリン粘土の添加で効果的に吸着されることが明らかになった(Domine ら2004)。このことにより、カオリナイト粘土の添加で毒性の食物が胃腸でよく吸収され、毒性による嘔吐や下痢が減るので、人による食土は効果的に機能すると結論づけられている。

生物学的視点からの食土:無機栄養素?特別な考察
古くから、そしていまだに人気のある食土に関する信心は、無機栄養素の欠乏を軽減するために人が本能的に土を摂取するということに由来する(Deniker 1900;Grivetti 1978)。確かに動物王国のメンバーが積極的にナトリウムに富む(塩類)土を捜し出し、鳥やは虫類がカルシウムを取得するために土を摂取するという証拠は数多くある(Abrahams 2005)。

しかし、この生物学的な説明を人の食土の説明に当てようとするのは、魅力的ではあるがそれを証拠立てる決定的な要因はまだ不足している。だが、塩類土を摂取するという文献に偶然出くわした。Laufer(1930)が、とくに南アメリカでの塩類土の摂取について報告していた。しかしこれに加えて、塩類土でない土がより多く使われている。Laufer(1930)は、土を食べるすべての人が塩を利用し、おそらくさらに容易に粘土に働きかけるという事実はいまも続いていると報告している。そのことは、人はナトリウムを摂取するために主に土を摂取しているのではないことを示唆している。

鉄とカルシウムは、人の食土において生理学的原因に関係があるとされている無機栄養素である。ニアサランド(マラウイ共和国)のカルシウム欠乏については、「情報62号のその2」で述べている。Drummond(Tordooff 2001)は、東アフリカではカルシウムに富む食べられる土の探索が、しばしば部族間での急な襲撃の原因になることがあり、これらの土が石灰の不足を補う慣習的な食事として本能的に摂取されていることを指摘している。

最近のVermere(1996)とWileyとKatz(1998)の報告では、酪農をしないアフリカ社会の妊婦のカルシウムの供給と土の摂取についてのコメントがある。結論づけるには証拠が希薄だが、他の調査研究からも分かるように、この種の観察は土を含んだカルシウム含有資材を意図的に探す欲求を人がもつ、といった魅力的な症例ともなる(Trodoff 2001)。

ある種の論文は、しばしば鉄分を含む粘土の摂取に言及している。しかしReid(1992)は、食土と鉄栄養素との関係から判断すると、土の摂取を鉄欠乏を満たす行動と考えるのは疑わしいと結論づけている。しかし、例え鉄のような栄養素の欠乏が人の食土の原因であると証明されたとしても、土の摂取は個人の無機栄養素に重要な影響をあたえる。

人の胃の酸性状態を再現した低濃度の塩化水素の試薬を用いた実験から、土を食べる人びとにとっては、鉄やカルシウムを含む種々の無機栄養素に関する推奨食事許容量に比較して、土の方が潜在的に大きな割合を果たしていることが判明した(Abrahams 1997;Geisser 1998b;Hunter 1973)。同様に人間の胃腸は、多くの鉛やヒ素のような潜在的に有害な要素(PHEs)を土から体へ解離する能力がある。偶然または意図的にしろ、この10年間に土を摂取した人びとへの必須元素とPHEsの供給に興味がもたれ、多くの調査研究が行われた。すなわち、摂取した土からの元素が迅速・安価に生物学的な部位(ここでは胃腸環境の元素可溶性で吸着可能な物質の留分;Paustenbach 2000)で測定・推定できる実験手法が開発されてきた。

人の胃腸系は、食べ物や土のような物質が口から始まって消化されていく複数の部屋での抽出経路と見なされる。一般的には、物質は主に養分の吸収が生じる中性/アルカリ性の小腸を通過する前に、酸性環境にある胃にすばやく送られる。

多くの試験管を使った研究での取り組みは、土から得られる要素の生物学的検定に、人の消化過程の影響を模倣する形で試みられてきた(Intawongse and Dean 2006)。大抵の方法は、土のサンプルが口、胃、小腸と順次人間の消化系管を通して運ばれることをシュミレートするものである。実験の方法は、正常体温(37度)で実行される。他の要因としては、固体と溶液の割合、使用される胆汁のタイプ(Hoodaら2002;Oomenら2004)などを変化させる。実際には、人の消化系の口、胃、小腸を模倣するために3つの小部屋が開発されている(Oomenら2003)。多くの方法では、土から要素が摂取される可能性はほとんどないと仮定して、口からの要素の抽出過程は無視されている。

Smithら(2000)は、ウガンダの食土であるシロアリ塚土や薬効のある土を上述した2つの小部屋のモデルで試験し(Rubyらの開発1996)、推奨されている食事許容量の鉄があることを認めている。少し改良した手法で、Abrahamら(2006)は、イギリスのアジア共同体コミュニティの妊婦の土摂取の事例から、鉄の吸収の可能性があることを明らかにした。

カルシウム、銅、マグネシウムと同様に鉄の食事許容量が、生物学的に吸収される。実際摂取される土の量(60g以上)で体に吸着される受容可能な割合は、イギリス食品基準庁の鉄とニッケルの指導レベルの制限を超えている。土から抽出される生物学的受容可能な鉛の濃度についても同様である。現在使われている試験管法で、土は必須元素と害毒性元素の必要量を潜在的に供給することができ、加えて摂取された土は、吸着性を示すのである種の要素の生物学的受容性を減少させることが判明した。

Hoodaら(2002)は2つの小部屋のモデル(胃と小腸)を開発し、インド、タンザニア、トルコ、ウガンダから食土に用いられる5点の試料を集め、試験管法で実験を行った。その結果、すべての試料が食事摂取シナリオの範囲を超え鉄や亜鉛の大部分を吸着した(それゆえ、これらの必須栄養素の生物学的受容性は減少した)。一方、石灰質の土は生物学的受容可能な大量のカルシウムを解離した。

文化的視点からの食土
人が土を食するそれぞれの特性(飢饉の食料・食料品の毒消・薬)は、多くの家畜や野生動物の土の利用と共通点が多い(Abrahams 2005)。家畜や野生動物の習性である無節制な行動は、容易に人びとに影響する。それゆえ、人の食土は異常な挙動として拒絶されるよりむしろ、適切な状況では歴史を通じて必要なときに実施される正常な適応習慣として、見識ある意味で高く評価されている。

人間社会間における文化は、生命と生産力の源としてつきあっている土、祖国の象徴であるとともに式典や儀式で使われる土、不思議な宗教的習慣に組み込まれた食土の習慣などを見ながら進化してきた。例えばBradyとRissolo(2006)は、マヤの洞窟の多くの辺鄙な暗い地帯で採取される粘土の小片が、明らかに食土を司る儀式に関連していると主張している。Hunterら(1989)は、同じような解釈を今日のグアテマラやその近辺の国の例で示している。

ここでは、宗教的な像が浮き彫りにされている。聖なる粘土の錠剤は医学的または妊娠中に使用されるが、摂取にはいつも精神的な意味がある。近代のアフリカにおける男女の子どもと妊婦による食土に絡むきわめて文化的な習慣が、Geisslerら(1999)とGeissler(2000)によって報告されている。ここでは、食土の重要性が年齢、性別、力に関連する以上に、食土が人びとの属する地域の肥沃さや血筋の継続に関係している。

これらの例は、食土を永続させるある種の文化が重要であることを説明している。今日みられる食土の習慣は、家族の長い歴史に深く根ざした伝統である。このような社会では、土はまだ人の食の役割を果たしており、飴や香辛料、ごちそう、楽しみなどと同じように理解され、消費されている。

しかし多くは発展国に見られるが、これらのきわめて伝統的な社会から外れたところでは、近代化と人びとへの教育の力と、食土は非衛生的で変人の習慣であるという認識が、食土の習慣を頑強に続けている少数の集団を非難するように仕向ける(HenryとKwong 2003)。結局、土を摂取する人びとは、恥ずかしさと罪の意識を通して自分たちの食土の習慣について自ら情報を提供することに躊躇するので、この習慣は過小に報告されることになる。

人の健康:食土による損失と利益
意図的に土を摂取することによる健康への影響および有害性には、賛否両論ある。これらの内容は既に議論してきたが、ここではいくつかの話題について簡単に説明しよう。食土による健康への肯定的な側面は、この習慣で愉快なくつろぎの感覚を経験する精神的な要因にある(Edward ら1964)。その習慣は慰みとなる。例えばVemeer(1971)は、ガーナのエウェ族の妊婦が行う食土は、肯定的な精神的効果があると語る。エウェの文化では、伝統的に肥沃、長寿および健康を約束する象徴と見なされている卵形の粘土が摂取される。妊婦は自分自身を正常でなく病気がちな状態と考えているが、これらの粘土が身体の状態をよくすると信じている。同じように、中央アメリカで採取された聖なる粘土の錠剤は、体の不調や妊娠に関わる心配を和らげ、精神的な安らぎを与えると考えられている(Hunter 1989)。

土を摂取することのさらに肯定的な役割に"衛生仮説"がある。この仮説は、ワクチンの使用、細菌の恐怖、衛生状態の妄想などに依存する現代の開発社会におけるアレルギーと自己免疫病の発生率の増加に関係している。この豊かな社会で、喘息のような病気が過去30年間で顕著に増加している。これは、土のマイコバクテリウムへの接触と摂取の機会がある程度低下したことに関連するであろう。一方この土の役割は、仮説が論議を呼びおこす興味深い問題として残る。

摂取した土の生物学的、化学的および物理学的な特性が、人間の健康と幸せに多くの有害な影響を及ぼす。かつての奴隷貿易の注目すべき特徴に土の摂取に起因する死があるが、19世紀の初期10年からの食土に関する論文では、死についてはまれに言及されるのみである。同様に、過度の歯牙摩耗と髙カリウム血症(筋肉が衰えたり、脈が遅く不規則になる症状に結びついて血中のカリウム濃度が高くなるなど)が、土食の習慣に関連していることも稀に報告されているだけである。さらに多くの著者が、土の過剰な摂取がX線検査で検出可能な腸閉塞をまねくと報告している(Collinsonら2001;GardnerとTevetoglu 1957;Ginaldi;Kisalら2003)。

大きな関心は、食土家の寄生虫による感染である。意図的であろうが無意識であろうが、回虫やヒト鞭虫の卵のある排泄物を含んだ土の摂取は、身体に重大な影響を与える。その結果として生じる病気、すなわち回虫病やベン虫病は、比較的罹患率と死亡率が低いので最近までは無視されていた。しかし、今では栄養、生長、体の健康と認知機能に慢性的な大きな影響を及ぼすことが分かっている(Abraham 2006)。

底土の資材と糞で汚染されていないと思われる土を食材として開発するには、土の中に含まれる寄生虫を死滅させるために効果的である焼き付けを行うことが、食土のための準備と病気の蔓延を避けるうえで相当の助けになる。見さかいのない土の摂取は、例えば養護施設の未舗装の遊び場のような(Wongら1991)寄生虫の侵入と病気の原因になりやすい。

一方、摂取された土は食土家に必須元素を提供する潜在力を持つことも明らかにしてきた。逆に土が吸着力をもつため、無機栄養素の欠乏を誘発する機能をもつことにもなる。鉄、カルシウムおよび亜鉛の欠乏は、文献に報告されているこのメカニズムに起因する。例えばCheekら(1981)は、北アーストラリアのアボリジニ300人を調査し、半分が低亜鉛血症(血液中の亜鉛濃度が低い)であることが分かった。摂取した土が亜鉛を吸着し、身体の亜鉛欠乏を助長する悪循環を招いたのである。高温は発汗により亜鉛の損失をまねく。穀物の多い食事は、フィチン酸塩の結合で亜鉛の吸着を減らす。腸に寄生虫がいると、血液の損失により亜鉛欠乏の原因となる。

土の摂取とIDA(鉄欠乏貧血症)が関係していることは、少なくとも2000年の人類史上を振り返っても認識され続けている。トルコ共和国における鉄欠乏は、食土と不適切な食事が原因の長期にわたる公衆衛生の問題である。トルコで食土とされる二種の粘土の特性について、Minnich(1968)は、土の陽イオン交換容量(CEC)が鉄を効果的に吸着する原因のため、食土家による土の摂取は防止するべきだと記している。

アメリカ合衆国から集めた3つの粘土試料は、相対的にCECが低く吸着する鉄の量が少ない傾向にあった。この事実は、食土家が鉄の障害を起こすのは、土がもつ粘土の型によって変化することを意味する(Talkingtonら1970)。フッ素とカルシウムに毒性があると文献にあるが、世界の食土家の間にこの事実が普及するには限界があるようである。鉛の毒性に関心がもたれているが、この視点からするとAbrahamsら(2006)の仕事は特に注目に値する。

これらの著者は、イギリスのアジアコミュニティの妊婦が習慣としている食土に関する調査をした。ベンガルから輸入した土を試験管による手法で、正常な土に含まれる銅や他の多くの元素の生物学的な受容可能性を測定した。これらの研究から、食土が正当だと判断することは適切ではないことが示唆された。無害であると思われる土でさえ、それをたべることは潜在的に危険な習慣なのである。

結論と見解
これまでの事実から分かるように、食土には明らかに恩恵がある。一方、同時に健康被害も大きいことを踏まえれば、食土家を苦しめる意図的な土の摂取は奇妙ともいえる。Solien(1954)は、おそらく人びとが土の摂取に伴う病気について認識していないか、たとえ認識していたとしても、彼らの信念がそれを超えるほど強いのだと説明している。この話題に関する文献を読んでいると、土を食べるという気圧されるような衝動が、その習慣がもつどんな負の面よりも勝るのである。

開発国の人と伝統的な生活様式に馴染んでいる人の間では、例えば教育の欠如が食土は"野蛮な"人だとするように、食土に関する見解に矛盾がある。しかし、このような考え方は完全に正しいことではなく、食土は見識ある視点で眺められるべきである。

故意に土を摂取することは、通常は人以外の霊長類と多くの種の哺乳動物に適合した挙動と考えられている(Arahams 2005)。しばしば土の摂取は、食料の解毒や病気と闘うための自己治療という理由で行われている(この点で土は、古代人の薬と見なされている)。

人の食土が異常だと考えるのは非論理的である。土の摂取は、時間の経過とともに次第に習慣と伝統文化の一部となった。きわめて伝統的な社会において、食土へのこだわりに貢献する家族を通して、食土の習慣が社会化していることは、今のところ明白な事実である。それゆえ人類学的見地からすれば、食土の習慣は文化的に中立(倫理的視点)か文化的に特異(イーミック:意識を内側から分析)かというどちらかの観点で見るべきである(YoungとPelto 2006)。

前者は、文化的・社会的現象を研究している科学者により使われる外的で分析的な見解を引用する。後者は、食土に関する認識が(この場合)分析的な背景とは異なる視点をもつ文化の内部関係者の見解に関係する。確かに倫理的な見方では、食土は、例えば寄生虫や銅のような元素に関連して潜在的に健康に有害であると思われる。このようにして、土の摂取を眺める社会の中では、食土は非衛生的かつ変人の挙動の指標であるという一般的合意が得られ、土を摂取する行為は減少していった。

さらに、皮肉にも食土の習慣は化学的評価(近代的薬務局の製品として)に従う今の社会でまだ生き残っており、そのうえ土が魅力的に宣伝され、パッケージに入れられ評判のよい店(HenryとKwong 2003)やインターネット(例えば、http://www.whitedirt.com)で売られると、医者から推薦される。そうすると、土の摂取はより受け入れやすくなる。Clark(2000)の報告による最近の例では、台所で使用される赤粘土塩がアメリカ合衆国の特別な市場で32ドル/0.45kg、只のテーブル塩は25/0.45kg(2009年は50セント)で売られている。

適切な事実を考慮すれば、食土は正常な人間の行動として評価されるべきである。しかし、このことを受け入れても、必ずしも食土が安全であると仄めかしているわけではない。それにしても、きちんとした理由付けがない食土や過剰に活発な食土は、不適切かつ有害である。依然として残存し、十分定量化されている食土にともなう健康被害には、健康教育により土の摂取を阻止したり、衛生状態の制御下で作られた薬や鉱物栄養補助食品のように容易に利用できる代替品を提供することである。

そのような代替品の支給には時間がかかるが、伝統的社会で働いている健康に関わる専門家によってすでに用いられている方法に類似した戦略を採用することが賢い。良質、中間、悪質など仮の類型分けを適用すると良い(ReillyとHenry 2000)。糞便が含まれる表面の土の摂取は間違いなく悪いし、焼かれた底土のような良い方法で作られた土は、腸内で有効に働く。

食土の普及が将来さらに減少することに疑いはないが、発展国の人びとは様々な理由で、土を材質とするものをいまも摂取している。食土の慣習が根こそぎにされようとも、その慣習は続くであろう。食土に関する現在の不十分なデータベースをもとに、社会的/文化的感性をもつ研究者がさらなる学際的な調査研究を続けることであろう。

本の紹介 66:こころの病は、誰が診る?、髙久史麿×宮岡 等、日本評論社(2011)
本書の裏表紙には、「こころの病は、誰が診る?」の社会的な背景をみごとに裏付ける図がカラー入りで紹介されている。ここでは精神科病床数、一般病院数(精神科+心療内科、重複計上あり)、一般診療所数(精神科+心療内科、重複計上あり)、失業者数、抗うつ薬売り上げ額、気分障害総患者数、自殺者数の推移などが1990年から2010年にわたり図解されている。

この20年間に上昇の一途を辿るのは、一般病院数、一般診療所数、抗うつ薬売り上げ額、気分障害総患者数である。失業者数は、2002年から2007年の間に若干減少するが他のものと同じ傾向で上昇している。自殺者数は1990年から1998年までは増加するが、それ以後2010年までは横ばい傾向を示す。20年間の各項目の上昇傾向に対して、精神科病床数がじわりじわりと減少していることに驚異を覚える。

この図は、現代日本の病に関して何を意味するのか。この図解を背景に、自治医科大学学長・日本医学会会長の髙久史麿氏と北里大学医学部精神科学教授の宮岡 等氏が、フジ虎ノ門健康増進センター長の齋尾武郎氏と栗原千絵子氏の司会のもとに対談する。

本書「あとがき」では多くの思いが記されている。本書は、わが国の精神医療とプライマリケアの改革に向けた4人の参加者の熱い思いを結晶させたものだという。精神医療とプライマリケアを連携させるという課題は、今回の大震災を受け、生まれ変わるべき日本と日本の医療にとって喫緊の課題だという。

これからの日本は、専門性という陋習を捨て総合的な臨床の知が求められる。被災地では当然のことながら、心の病も身体の病も、これまでのように専門性だけを追求できる余裕はない。あらゆる医者がそれぞれに目の前の患者の心身両面を診察し、必要に応じて高度な専門家を紹介するシステムを作らなければ、医療は立ち行かないという。専門性の壁、地域の壁を越えて、限りある人的・物的資源を有効に活用し、患者の治癒、疾患の克服という目的を達成する道筋を切り開いていかなければならないと語る。

このような思いで、対談は熱く進行する。対談の内容を10章に整理し、上述した思いを随所で見せつける。その章とは「プライマリケアと精神科医療の接点」「精神医療とその周辺問題」「うつ病の薬事治療と企業マーケティング」「身体疾患と精神疾患のはざまで」「精神疾患は、誰が診る?」「卒前卒後の医学教育‐プライマリケア医に求められるもの」「プライマリケア医としての産業医」「医学コミュニケーションとPUS」「尊厳ある生と向かい合う」「医療の未来‐連携とリーダーシップ」。

本書は「用語解説」と「編集部注」が充実していて、医療の知識がない筆者にも読みやすい。「用語解説」では「うつ病」「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」「統合失調症」「発達障害」「精神療法」「自殺予防におけるアウトカムリサーチ」「ディジーズ・マンガリング」「利益相反」「一般市民の科学理解(PUS)」が詳しく解説されている。「編集部注」は62項目にのぼる。

断片的ではあるが、読後の気づきを以下に記す。本書の裏表紙からも推定できるが、精神科への入院は診療報酬が低いためベッド数が年々減少している現状や、精神科病院や総合病院の精神科が減少し、精神科クリニックが増加している現状が紹介される。クリニックにおいては、夜間診療はできない、重症患者や救急の場合は総合病院や大学病院が引き受ける、その連携がうまくいかないケースもある、こうなると患者にとって不利益になる、ことなどが語られる。こうしてみると、クリニックが増えることで受診の敷居は低くなったと思うけれども、症状の重い患者の場合は一体どうすればいいのだろう。

髙久氏は、精神疾患の治療には薬物を使用した療法と精神療法を併用することが有効ではないかという疑問をもつ。そのことを認めた上で宮岡氏は、証明が得られているのはうつ病に対する認知行動療法だけで、他では証明が得られていないと応える。また、大学における精神科専門医への教育について、精神療法よりも薬物療法を優先することへの反省が語られるのは注目に値する。宮岡氏は、さらに現在の精神科治療では、十分な問診による適切な診断が以前にも増して求められていると強調するが、このことはきわめて重要である。

認知症の患者は一体どの科で診たらいいのだろうか。この問題は重要な課題のようである。このことについても語られる。例えば、神経内科で診ていた患者が興奮しやすくなったので、精神科で診てもらいたい現状、家族が患者を病院に連れて行こうとしたときに、どの科にも受け手がない現状などがあることを知ると、現在の高齢化社会が進行している中で、早く国が適格な政策をたてなければならないと痛切に感じる。そこでは、プライマリケア医の役割と成果を期待する以外に手はなさそうだ。問題が行き詰まったときには、専門医と連携して治療に当たっていく制度の構築が是非とも必要であろう。今や社会は、急増するうつ病と、来るべき認知症に満ちていると言えば言い過ぎであろうか。

わたしの周りを眺めても、うつ病と診断される人がまちがいなく増加している。鬱がいつ起こるかと常に心配している姿をみると、問題は深刻である。これに対して宮岡氏の発言「大うつ病、いわゆるうつ病は薬の効果は大きいが、そうではない周辺部分のうつ病の場合は薬が効くかどうかは怪しく、むしろ適切な精神療法が必要なのに、その周辺部分の患者さんに対する抗うつ薬の処方が増えているために、抗うつ薬全体の売り上げが伸びている」は重い。

本書の主題は、髙久氏と宮岡氏の対談である。しかし、司会者の一人である齋尾氏の発言はむしろ司会の役割を越えて対談者の一人のようである。この本は、むしろ三人の対談にして齊尾氏が精神科・内科の医師として参加すれば、氏の思いは十分に発揮されたのではなかろうか。

本の紹介 67:地震の日本史‐大地は何を語るのか‐、増補版、中公新書(2011)
日本列島は、花さい列島と呼ばれている。花を編んでつくった首飾りのように北から千島弧、本州弧、琉球弧が円い弧を描きながら連なっているからである。アルプス造山運動は、この日本列島の土台を築いた。新第三世紀と呼ばれる時代になると、アジア大陸の東縁に激しい断層運動などの地殻変動が起こり、この列島の地形と地質を複雑なものにつくりあげた。

このような日本列島の成りたちは、せまくて細長い国土に山ばかりをつくる結果になった。洪積世には火山活動がさかんで、地表は火山で覆われていた。日本は地殻変動によって作られた島国である。沖積世に入って、寒冷な気候が続くが、そのあと暖気候と寒気候を繰りかえしたのち現在の気候に落ちつく。

気候が落ち着つくと、これに適した植物が茂りはじめるが、雨による土壌の浸食も激しくなる。山や丘陵は浸食されて、土壌は川に運ばれ河床を埋めていく。そして、沖積平野が形づくられる時代に入る。国土の十数パーセントを占めているわが国の平野は、こうしてできた。

芭蕉の句に「五月雨をあつめて早し最上川」とあるように、川の数は多いものの傾斜が急で、広い沖積平野は数えるほどしかない。伝統的な農村では、自然立地条件に最も適した土地利用がおこなわれている。関東平野を例にとれば、水田は水をえやすい沖積低地に、畑は排水のよい台地や自然堤防上に、集落はきれいな水を手に入れやすく、しかも洪水の危険が少ない台地斜面の下部や自然堤防上につくられてきた。

日本人は、このような自然条件のなかで林業と農業と漁業を営みながら、縄文・弥生・大和・飛鳥・奈良・平安時代という原始および古代を、鎌倉・室町・江戸時代という中世および近世を、そして、近代の明治・大正・昭和・平成を、稲作を中心とした文化を育みながら生き続けてきた。その背景には山があった。山は日本人の衣食住の原点であった。山は、われわれに生きていくためのエネルギーを提供してくれた。クリ、クルミ、トチなど落葉樹の木の実は食料を、フジ、シナ、クズなどの蔓性植物は繊維を、さらには木々は家を建てる素材を提供してくれた。

このように、山は衣食住のすべてにわたってわれわれの先祖に恵みを与えてくれていた。そこへ、海の向こうからイネを栽培する技術が伝わってきた。これまでの山の恵みに比べて、イネは比較にならないほど食料の安定をもたらした。そのため、新しい社会様式が形成されていった。

命の糧であるイネを手に入れるのにふさわしい土地を求めて、人びとはイネの栽培を確保しやすい川の流れの近くに移り住みはじめた。豊かな森から流れ出る水を水田に引き込むためである。このときから、山がもたらしてくれる豊かな水と日本人は、物心両面にわたって強い絆で結ばれるのである。イネを中心とした文化の誕生である。

これらは、地表面での豊かな暮らしの姿である。しかし、地表のすぐ裏側では大小さまざまな地震が有史以来くり返されてきた。最も規模の大きな地震は、地殻のプレートの境界から発生する。地球の表面は十数枚のプレート(岩石圏)で薄く覆われており、日本の太平洋海底でプレートがぶつかりあっている。ここで海側のプレートが陸側のプレートの下にゆっくりと潜り込み、圧縮されて細長く盛り上がったのが冒頭に記した花さい列島と呼ばれる日本列島である。このようなプレートの動きに伴って、M(マグニチュード)8クラスの巨大地震が発生している。

プレートの運動によって隆起を続けている日本列島の岩盤には、活断層と呼ばれる傷が多く生じている。活断層から発生する地震はM7クラスまでで、プレート境界の地震より小さいが、陸域や沿岸の浅い位置で生じるため、直上の住民は甚大な被害を被る。

以上が、日本列島の成立と現在ある列島の姿である。前段が長くなりすぎた。しかし上述した日本列島の美しい姿を理解した上でこの本を読めば、この本の価値は倍加する。やっと本書の紹介に入る。

まず、本書の表紙裏の説明を紹介する。「日本の歴史は、地震の歴史だと言っても過言ではない。人の記憶になく、文書に記述がないからといって、地震が存在しなかったと即断するのは大きな間違いと言えるだろう。本書は、『地震考古学』を確立した著者による、日本歴史を地震の連鎖として描く異色の読み物である。巻末に、東日本大震災に関連して、現在の日本列島と共通点が多い九世紀の地震活動を増補し、地震活動活発期にある日本の備えを考える」。

著者は、地震を豊かな日本文化の発生の原点と捉え、様々な人間ドラマの誕生と関連づけて観ることを「はじめに」で勧めている。愛する娘を地震で失った山内一豊夫妻、二度も被災して肝を潰した豊臣秀吉の例をあげ、日本列島の各地でどの時代に地震が起き、人びとの身上に何をもたらしたかを知ることは、地震への理解を血の通ったものにするであろうという達見を記している。

各章は「縄文時代~古墳時代」から始まり「飛鳥~平安時代中期」「平安時代後期~室町時代」「安土桃山時代」「江戸時代」「江戸時代末期」「近・現代」と続き「二一世紀の地震」で終わる。

ここでは、各章の特異的な内容だけを紹介する。「縄文時代~古墳時代」では、砂層が液体のように振る舞う「液化現象」により縄文時代の地震を発見し、「地震考古学」なる新しい研究分野を提唱し、これまでの調査で見過ごされていた地震の痕跡を追求している。これによって、日本列島には縄文時代早期から古墳時代にも数多くの地震が発生していたことを明らかにする。

「飛鳥~平安時代中期」で特筆されるのは、有史最古の南海地震と日本書紀に書かれた地震に関わる内容の解説である。日本書紀における天武天皇13(684)年の条(くだり)には、道後温泉の湯が止まったことが書かれていることから、この地震がプレート境界で発生した巨大地震だと推定する。

「平安時代後期~室町時代」では、数多くの文献の地震記録と遺跡の地震痕跡を用いて、684年から1498年にいたるまでの期間には、200年以内の間隔で南海地震が規則的に発生した可能性が高く、南海地震が東海地震と同時あるいは連続したことも考えられると解説している。

「安土桃山時代」の大きな出来事は、天正13(1586)年に起きた天正地震であろう。中部地域から近畿東部にかけての広い範囲がすさまじい地震に見舞われた。加賀藩の前田の木船の城は、大地も割れるばかりに百千の雷の響きがして、9メートルばかり揺り沈められた。山内一豊の長浜の城は崩れ落ち、一豊は一人娘の与?(およね)を亡くしている。

「江戸時代」の宝永地震は、東海地震と南海地震が同時に発生したので宝永地震と呼ばれている。元禄関東地震から4年後の宝永元(1707)年、南海トラフのほぼ全域でプレートが一気に破壊された地震である。太平洋に面した浜松城下、高知城下、愛媛県道後温泉、大阪平野など広い範囲で被害が生じた。道後温泉の湯は145日間も出なかった。大阪湾にも津波が押し寄せ市街の川や堀を遡った。宝永地震の49日後には、富士山の山頂から南東方向に下った位置にある宝永火山から噴煙が登った。5日間に渡って激しい噴出が続き、東麓の村々の家75軒を壊滅させた。

「江戸時代末期」に特筆されるのは、安政元(1854)年におこった古今無双の大地震とそれに伴う津波である。理科年表によれば、1854年には7月9日(震度(M)7)、8月28日(M6.5)、12月23日(M8.4:安政東海地震)、12月24日(M8.4:安政南海地震)と記録され、津波は駿河湾奥、房総から土佐、中部から九州まで及んだと記されている。安政東海地震では、ロシア大使のプチャーチンが乗り組むフリゲート艦「ディアナ」が津波に遭遇した。沿岸は津波に破壊されているにもかかわらず、乗務員を救済した。ディアナ号に乗船していたマホフ司祭長は、後に「日本旅行記」の中で深い感謝の念をもって回想している。

安政東海地震の翌日に発生した安政南海地震による津波は、紀伊半島南端の古座、四国南西部海岸、高知県宿毛、四国南東部の室戸岬、大阪湾などを襲った。有名な濱口儀兵衛(俉陵)の「稲むらの火」はこの津波からきた。和歌山県有田郡広川町広での出来事である。

「近・現代」の大地震は、われわれも忘れていない。大きいのは明治23(1890)年の濃尾地震(M8)と大正12(1923)年の関東大震災(M7.9)である。前者は、岐阜県西部から仙台以南の全国で感じた。わが国の内陸地震としては最大のものであった。後者については多くの人が多くの記録を残している。吉村 昭の「関東大震災」は圧巻である。

「二一世紀の地震」では過去の歴史を振り返り、都市化が進んだ地域での地震対策を考える。都市化が進むにつれて以外は多様化し、二次災害の規模も拡大して複雑になる。これに対して、行政の立場で地震に対処することは当然であるが、それぞれの市民が地震に対する関心を高めて、わが身を守る努力をすることも必要である。そのために、自分が生活する地域でどんな地震が起きて、先人たちがどのように対処したかを知ることが役に立つであろうと、結んでいる。

このような記述を見ると、寺田寅彦の言葉が思われる。「災害を大きくするように努力しているものはたれあろう。文明人そのものである」「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向がある」「流言蜚語(飛語)の責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない」。

膨大な調査と過去千数百年に及ぶ文字記録をたどり、この間に起きた地震の年月日や被害を知り、古くまで遡って地震の記録を詳しくたどった後の「おわりに」で著者は語る。「それにしても、私たちの祖先たちは、なんと多くの地震に悩まされてきたことであろうか。だが、地震がなければ、日本という島々が存在しないこともまた事実である。プレートの連動がこの列島を形成し、活断層が起伏に富んだ美しい地形を造り、地盤運動で沈降し続ける広い空間に砂や粘土が堆積して東京・大阪・名古屋などの大都会が発達した。私たちの生活基盤は地殻運動に支えられているのだが、地震が起きてしまえば、尊い命が奪われ、多くの人たちが悲惨な目にあう」。この文章の内容を深く知ってもらうために、この項の前半に長々と日本列島の生いたちと美しい姿を紹介したのである。

「おわりに」は、まだ続く。「私たちの国で暮らし続けるには、地震との共存は避けて通れない。このためには、過去の地震から多くの知識と教訓を得ることが大切である。さまざまな時代に起きた地震が、どんな地震だったかを知る手がかりとして、本書がすこしでも役立てば幸いである」。

最後に、増補版としての補遺として「東日本大震災のあとで」が書かれている。日本列島に生き続けた人としての情の香りを僅かに見せながら、自然科学者としてこの列島に宿命的に起きる地震について「東北地方太平洋沖地震」「東北地方太平洋海底の地震」「九世紀の地震と現代」の項目を適確に解説する。まさに一読に値する冊子である。

巻末に43冊の「主な参考文献」が紹介され、北海道から九州にかけての「日本の主な活断層」が図示されている。

*本情報誌の無断転用はお断りします。
北里大学学長通信
情報:農と環境と医療64号
編集・発行 北里大学学長室
発行日 2011年11月1日