センター長コラム
第28回 せん妄のこと
もう何年も前のことになりますが、レビー小体型認知症と診断されている高齢の男性が骨折治療のために入院後、幻視と大声で困っているので診てほしいという相談をいただいたことがありました。病室に足を運んだ時間帯は、まだ朝食の香りが残っていたので午前8時過ぎだったように記憶しています。室内を仕切るカーテンの外から声をかけても返事はありませんでした。カーテンを開けてみると、声をかけるのも憚られるくらい、気持ちよさそうな寝顔が見えました。穏やかな寝顔を見る限り、大声を出し続けている人には見えません。それでも診察しなくてはならないので、「すみません」とことわりの言葉を伝えつつ、二の腕のあたりをそっと触れました。
目覚めたその人は、眠たげではありますが、どんな幻が見えるのか教えてくれました。大きな声を出していることは覚えていないようでした。その人に見える幻は「天井の模様が動物に見えてきて宙を舞う」というものでした。錯視から幻視へとひろがる体験のようです。色々と話していると「うーん、動物だからかわいいってわけではなくて、なんだか怖くて大きな声を出してしまうかもしれないね」と教えてくれました。日付や場所の認識にずれが生じていました。四肢の筋強剛など、錐体外路症状は認められませんでした。朝食後の心地よいうたた寝を妨げたことをお詫びし、診察に協力してくださった御礼を伝えてナースステーションへ入ると、大きな声や幻が見えるような言動はもっぱら夕方から翌朝にかけて認められ、日中は認められないことを看護師さんが教えてくれました。医者になってからしつこいくらい、「前医の診断を鵜呑みにするな」と教育されてきたこともあってか、診察の前からレビー小体型認知症以外の可能性を考えていました。これまでの情報や症候を整理すると、大声の理由はレビー小体型認知症よりもせん妄の可能性の方が高そうでした。
せん妄とは注意や理解、記憶などの機能が急性に低下し、変動することを特徴とする状態を意味します。認知症が慢性に変化するのとは対照的に、せん妄は急性に生じます。認知症のある人にも生じますが、認知症と混同せず診断することが求められます。せん妄では活動量が増加する場合もあれば、減少することもあります。活動量が増えるせん妄は目立ちますが、認知症のある人に生じることのある行動や心理面の変化として誤解されることがあります。一方、活動量が減少するせん妄は見落とされやすいようです。しかし、せん妄は命に関わる疾患が潜んでいることを予告していることが多いという指摘もあります。薬の副作用としてせん妄が生じていることも珍しくありません。認知症のある人に生じる変化は、せん妄のある人に生じる変化に似ています。しかし、せん妄が生じる理由は命に関わる疾患や薬の影響です。ですから認知症のことも大切ですが、せん妄への理解が深まることも大切なことのように思います。
せん妄の有病率は地域レベルでみると1-2%に過ぎません。しかしその有病率は年齢とともに増加します。85歳以上の人では14%に達するという報告もあります。国や保険制度による違いはあると思いますが、救急外来を受診する高齢の人の10-30%はせん妄が生じており、入院中にせん妄が生じた人の死亡率は22-76%と報告されており、この死亡率は心筋梗塞や敗血症の死亡率と同程度とされています。活動量が増加するせん妄が生じると、混乱してしまい大切な点滴の管を間違えて抜いてしまうことがあります。このため入院中にせん妄が生じると、手足やお腹をベルトで固定する処置が行われやすいです。ベッド上でベルトによって固定されるのはとてもつらいですし、血管に血液の塊ができる深部静脈血栓症や、それによる肺血栓塞栓症が生じる危険性も高まります。ですから、せん妄はできることなら予防したいですし、せん妄が生じても早く治療したいものです。
せん妄の原因はさまざまな身体疾患、薬といった直接的な原因、過剰あるいは過小な刺激や不安定な睡眠覚醒リズム、痛みなどの誘発因子、高齢、認知症を含む脳の疾患などの準備的な因子があると指摘されています。こうした様々な因子に対する集学的な介入が、せん妄の予防や治療に効果的であるという報告が多くあります。高齢、認知症を含む脳の疾患があるなど、準備的な因子があり、身体疾患の治療目的で入院する際には、入院前からせん妄の直接的な原因になりやすい薬(抗コリン作用のある薬、睡眠薬など)を減量、中止する、飲酒量を減らす、睡眠覚醒リズムを整える、日中の活動量を増やす、入院後は病室にカレンダー、時計、家族の写真など馴染みのあるものを置いて快適な環境を作る、室内の照度を昼間は明るく、夜は暗くする、水分、栄養、酸素化のモニタリングをするなどの対応が効果的とされています。このようにせん妄は完全に予防することが可能というわけではありませんが、予防可能性があり死亡率とも関連することから、医療機関の質評価指標として採用されている国もあるようです。
冒頭に記した高齢の男性は、抗コリン作用のある頻尿の治療薬を服用していました。作用機序の異なる薬への変更を主治医の先生にお願いしました。すると数日で大きな声や錯視、幻視は無くなったようです。国は膨張する医療費を削減するため、予定されている入院治療については入院前から情報収集と必要な介入を実施し、入院期間を短縮する取り組みをすることへ診療報酬を加算する政策を実施するようになりました。ただし、入院期間を短くして医療費を削減するということを目的化するよりも、せん妄による苦痛やせん妄が生じたために体が固定されることは少しでも減らしたいものです。せん妄について理解を深めることは、日頃から生活習慣や服用している薬に関心を持つこと、医師、看護師、薬剤師との相談の機会を増やすことに寄与しそうです。認知症への理解を深めるとともに、せん妄に関する理解も広がることは大切なことのような気がしています。
- 引用
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- Inouye SK: Delirium in older persons. N Engl J Med. 2006 Mar 16;354(11):1157-65. doi: 10.1056/NEJMra052321.
- Oh ES, Fong TG, Hshieh TT, Inouye SK: Delirium in Older Persons: Advances in Diagnosis and Treatment. JAMA. 2017 Sep 26;318(12):1161-1174. doi: 10.1001/jama.2017.12067.